伊豆半島で繰り広げられてきた歴史と、紡がれてきた文学の一部を紹介します。
- 上白岩遺跡 縄文時代
- 段間遺跡 縄文時代早期末から中期後葉
- 向山古墳群 4世紀中頃から6世紀前半
- 柏谷横穴群 6世紀末~8世紀末
- 松江古墳群 6世紀末
- 原分古墳 7世紀
- 平石古墳 7世紀中?
- 北江間・大北横穴群 7~8世紀
- 北江間・大師山横穴群 7~8世紀
- 宗光寺横穴群 7世紀中~8世紀初?
- 蛭ヶ小島 平安時代
- 伝・山木館跡 平安時代
- 月見ヶ丘 鎌倉時代
- 筥湯 鎌倉時代
- 大朝神社 鎌倉時代
- 俎岩 鎌倉時代
- 興国寺城址 戦国時代
- 韮山城址 戦国時代
- 山中城址 戦国時代
- 長浜城址 戦国時代
- 柏久保城址 戦国時代
- 修善寺城址 戦国時代
- 狩野城址 戦国時代
- 鎌田城址 戦国時代
- 河津城址 戦国時代
- 下田城址 戦国時代
- 白水城址 戦国時代
- 千貫樋 戦国時代
- 硫黄鉱山跡 江戸時代
- 大泉寺 江戸時代
- 江川邸 江戸時代
- ディアナ号の錨 江戸時代
- 煉瓦洞 江戸時代
- 反射炉 江戸時代
- ペリーロード 江戸時代
- 吉田松陰寓居処 江戸時代
- 弁天島 江戸時代
- 旧天城隧道 明治37年
- 北伊豆地震 昭和5年
- 狩野川台風 昭和33年
歴史・文学
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中伊豆エリア・上白岩歴史・上白岩遺跡
上白岩遺跡では、縄文時代の環状列石(かんじょうれっせき)などの配石遺構や竪穴住居跡が発見されました。国の天然記念物に指定されています。
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東伊豆エリア・見高歴史・段間遺跡
東小学校の校庭はずれで見つかった遺跡には、縄文時代の住居が復元されています。神津島(こうじしま)で採れた黒曜石(こくようせき)がここに陸揚げされて、各地に広がったと考えられています。
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北伊豆エリア・三島歴史・向山古墳群
向山古墳群は向山小学校北東側の尾根上に直線的に分布する、円墳14基、前方後円墳2基の、合計16基からなる小規模な古墳群です。これらの古墳が造られた時期は4世紀中頃から6世紀前半で、三島市内では最も古い古墳群です。
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北伊豆エリア・函南歴史・柏谷横穴群
平井(ひらい)の台地の先端の崖にあり、古墳時代後期の6世紀末から奈良時代(8世紀)にかけて使われた横穴墓が、300基以上あると考えられています。公園内の200基近い横穴墓が国の史跡に指定されています。
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西伊豆エリア・井田歴史・松江古墳群
煌めきの丘の西の尾根には、6世紀末に造られた17基の円墳が見られます
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北伊豆エリア・長泉歴史・原分古墳
7世紀に造られた直径16mの円墳で、大きな石室を持ちます。石室には、富士山から土石流として流れてきた御殿場泥流の転石が使われています。
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中伊豆エリア・宗光寺歴史・平石古墳
横穴式石室を有する古墳時代の円墳が保存されています。この一帯は多賀火山の溶岩流台地の末端にあたります。
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中伊豆エリア・北江間歴史・大北横穴群
沼津アルプス(静浦山地)の周辺には、7世紀前半から8世紀中頃にかけて造られた横穴墓群が残ります。北江間横穴群(きたえまよこあなぐん)は、大北横穴群(おおきたよこあなぐん)と大師山横穴群(たいしやまよこあなぐん)に分かれますが、いずれも白浜層群の海底火山からの火山灰が堆積した凝灰岩(ぎょうかいがん)の崖を掘って、横穴式の墓として利用されたものです。
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中伊豆エリア・北江間歴史・大師山古墳
凝灰岩・凝灰角礫岩の斜面に10基ほどの横穴墓が残ります。
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中伊豆エリア・宗光寺歴史・宗光寺横穴群
宗光寺の道沿いに、白浜層群の凝灰岩の露頭があり、7世紀から8世紀初頭に19基ほどの横穴墓がつくられました。
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中伊豆エリア・韮山歴史・蛭ヶ小島
伊豆に配流された源頼朝が、挙兵するまでの二十年近くこの地で過ごしたといわれます。
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中伊豆エリア・韮山歴史・伝・山木館跡
挙兵した源頼朝が、手始めに伊豆目代の山木兼隆を討つことにした。山木館(城ではない)の場所は特定されていないが、この付近にあったとする説があります。
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中伊豆エリア・修善寺歴史・月見ヶ丘
修善寺橋の西の袂にある小山で、修善寺に幽閉されていた源頼家が月を見ては鎌倉をしのんだといわれます。
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中伊豆エリア・修善寺歴史・筥湯
修善寺に幽閉された源頼家は、筥湯に入浴中に襲われたと伝えられます。
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北伊豆エリア・牛臥歴史・大朝神社
日蓮上人が、津波の被害に苦しむ人々のために祈祷をしたとの伝説が残る神社です。
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東伊豆エリア・城ケ崎歴史・俎岩
日蓮上人が流刑として置き去りにされたといわれる場所です。
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北伊豆エリア・沼津歴史・興国寺城址
愛鷹山の尾根を利用して築かれた戦国時代の山城です。伊勢新九郎盛時(北条早雲)が、今川氏の家督争いでの活躍によりこの城を与えられたそうです。
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中伊豆エリア・韮山歴史・韮山城址
田方平野の南東に位置する天ヶ岳(てんがたけ)の北裾の龍城山(りゅうじょうさん)に、戦国時代に北条早雲が東国支配の足掛かりとして平山城を築きました。
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北伊豆エリア・三島歴史・山中城址
山中城は、永禄年間(1560年代)小田原城を守る城として、後北条氏により創築され、天正18年(1590年)、天下統一を目指す豊臣秀吉の大軍の前に、わずか半日で落城したと言われる悲劇の城です。
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北伊豆エリア・内浦歴史・長浜城址
戦国時代関東一円を治めた北条氏の水軍根拠地がありました。重須湊を守るための城と考えられています。
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中伊豆エリア・修善寺歴史・柏久保城址
鎌倉時代に狩野茂光によって狩野城の支城として築かれた山城です。柏久保城は大見川と古川の間を東西に伸びる丘陵の頂部に築かれていました。
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中伊豆エリア・修善寺歴史・修善寺城址
狩野川と桂川に囲まれた城山の山頂に、戦国武将・畠山国清が修善寺城を築いたといわれます。
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中伊豆エリア・柿木歴史・狩野城址
狩野城址(かのじょうし)は、狩野川と柿木川の合流点にある小高い丘の上に築かれた山城の跡です。平安から室町時代にかけて伊豆の豪族であった狩野氏の居城で、三方が侵食されて急峻な崖に囲まれた中世の山城の遺構が残ります。
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東伊豆エリア・鎌田歴史・鎌田城址
鎌田の城山の山頂直下の土塁と空堀があり、鎌田城址という山城があったことをうかがわせます。
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南伊豆エリア・河津歴史・河津城址
河津の城山山頂に、戦国時代の山城が築かれました。北条早雲の火攻めにあい、兵糧米で火を消そうとした言い伝えがあります。山頂には、米蔵の記念碑が建ちます。
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南伊豆エリア・下田歴史・下田城址
下田湾に張り出す鵜島(うしま、下田公園がある)には戦国時代の下田城址がありました。
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南伊豆エリア・石廊崎歴史・白水城址
鷲ヶ岬の付け根に鍋浦山があり、その尾根筋に室町初期に設けられた山城の白水城址があります。郭の跡はよくわかりませんが、手前のP61近くが二ノ郭のようです。
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北伊豆エリア・清水町歴史・千貫樋
小浜池の湧水を水源として、清水町などに灌漑用水を供給するために、境川の上に架設されている樋です。元々は、後北条氏が造った用水ですが、関東大震災の時に崩落したので、再建されました。
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南伊豆エリア・堰口川歴史・硫黄鉱山跡
白田(しらた)川の上流の堰口(せきぐち)川を林道沿いに遡ると、硫黄橋に着きます。橋の手前左手の崖に二つの穴が開いています。江戸時代から明治にかけて硫黄が採掘と精錬が行われたそうです。
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北伊豆エリア・沼津歴史・大泉寺
元禄16年に富士山方向から聞こえた鳴動を、大泉寺の僧侶が覚書に記録していました。元禄関東地震が引き金となって富士火山のマグマ活動が活発化したものと考えられていますが、噴火には至りませんでした。資料は明治史料館にあります。
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中伊豆エリア・韮山歴史・江川邸
重要文化財に指定されている江川家住宅(江川邸)は、江戸時代、幕府の韮山代官職を世襲した江川家の屋敷です。
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西伊豆エリア・戸田歴史・ディアナ号の錨
駿河湾深海生物館前には、安政東海地震の津波とその後の暴風により難破したディアナ号の大きな錨が陳列されています。
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南伊豆エリア・萩ノ入川歴史・煉瓦洞
わが国最古の耐火煉瓦工場跡で、幕末、韮山代官江川英龍は、韮山の反射炉を建設するにあたり、耐火煉瓦の原料に、この遺跡近くで採取した白土を使いました。その後明治の始めに明治政府が耐火煉瓦をここで製造しました。
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中伊豆エリア・韮山歴史・反射炉
幕末の代官江川英龍(坦庵)が手がけ、後を継いだその子英敏が完成させました。海防用の鉄製大砲を鋳造するために造った溶解炉が、世界文化遺産の構成遺産と認められました。
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南伊豆エリア・下田歴史・ペリーロード
アメリカの提督ペリーが、下田条約の交渉のたびに、下田港から了仙寺まで通った小径が平滑川(ひらなめがわ)沿いに残されています。
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南伊豆エリア・蓮台寺歴史・吉田松陰寓居処
吉田松陰と金子重輔がかくまわれた旧村山邸は、寓居処として公開されています。
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南伊豆エリア・柿崎歴史・弁天島
弁天島は、吉田松陰と金子重輔が黒船に密航をしようと身を隠し小舟を漕ぎ出したところです。
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中伊豆エリア・天城歴史・旧天城隧道
伊豆の南と北の間にそびえる天城山は、昔から交通の要害で、越えるのは大変で土砂崩れによる崩壊で、幾度も付け替えられていました。1905年に初めてトンネルが完成して、人と物の往来が盛んになりました。
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北伊豆エリア・丹那盆地歴史・北伊豆地震
昭和5年11月26日の早朝(午前4時)に、丹那盆地の地下にある丹那断層を含む北伊豆断層帯がずれたことにより、マグニチュード7.3、震央での震度 6という北伊豆地震が発生しました。
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中伊豆エリア・大仁歴史・狩野川台風
昭和33年の狩野川台風の被害からの復興記念として、最も被害の大きかった熊坂地区に公園が建設され、殉難者慰霊碑などが建立されました。
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南伊豆エリア・湯ケ野文学・福田屋
川端康成は、湯ケ野(ゆがの)の河津川右岸にある福田屋に逗留して、[伊豆の踊子]の舞台として著しました。
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中伊豆エリア・湯ヶ島文学・湯本館
湯本館には、川端康成が『伊豆の踊子』を執筆した部屋が公開されています。
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中伊豆エリア・湯ヶ島文学・川端康成・文学碑
踊子歩道、水生地下より300m入ったところ、わさび沢の横にある碑には、川端康成直筆で「道がつづら折りになっていよいよ天城峠に近づいたと思うころ・・・」と伊豆の踊子の冒頭部分が刻まれ、銅版性の川端康成のレリーフも設置されています。
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中伊豆エリア・湯ヶ島文学・井上靖・土蔵跡
井上靖の[しろばんば]で、耕作少年とお縫いばあさんが暮らした土蔵跡は、花壇として保存されています。
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中伊豆エリア・湯ヶ島文学・井上靖・土蔵内復元
昭和の森会館の伊豆近代文学博物館には、伊豆ゆかりの文学者の貴重な資料が展示されています。館内には、井上靖の[しろばんば]で、耕作少年とお縫いばあさんが暮らした土蔵内の部屋が復元されています。
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中伊豆エリア・湯ヶ島文学・井上靖・書斎
伊豆市・市民活動センターの資料室には、井上靖の書斎を再現しています。
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中伊豆エリア・湯ヶ島文学・井上靖・旧邸
井上靖が湯ヶ島で暮らした旧邸が、昭和の森会館の庭に移築されて、公開されています。
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中伊豆エリア・湯ヶ島文学・白壁荘
井上靖が湯ヶ島に帰省するたびに滞在した部屋は宿泊することもできます。
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中伊豆エリア・水生地文学・松本清張・氷室
以前は、近くに造った人工の池で凍った氷を切り出して、保管していた氷室が復元されています。松本清張著[天城越え]の重要な場面に登場します。
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北伊豆エリア・我入道文学・芹沢光治良・生家
狩野川が駿河湾に注ぐ河口の左岸に位置する古い漁村の街並みに、沼津市生まれの作家・芹沢光治良の生誕地跡の碑が建ちます。
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西伊豆エリア・黄金崎文学・三島由紀夫・文学碑
三島由紀夫著[獣の戯れ]の中で、黄金崎を[平滑な一枚の黄金の板のように見える]と描写されています。文学碑には、三島由紀夫の実父の平岡梓が揮毫した一節が刻まれています。
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北伊豆エリア・内浦文学・安田屋
太宰治が滞在して、[斜陽]を執筆しました。宿の前には、文学碑が建ちます。
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北伊豆エリア・軽井沢文学・正岡子規・句碑
正岡子規が、修善寺から大磯に戻るために、根府川通りを越える途中、軽井沢宿に宿泊させてもらった際に詠んだ句碑が建ちます。
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北伊豆エリア・湯ヶ島文学・若山牧水・文学碑
湯ヶ島の元造り酒屋・天城酒造の庭には、酒を愛した若山牧水の歌碑が立ちます。
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東伊豆エリア・一碧湖文学・与謝野晶子・歌碑
与謝野晶子・鉄幹は、一碧湖畔にあった知人宅に滞在して、短歌を詠みました。
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北伊豆エリア・三島文学・水辺の文学碑
白滝観音堂から三嶋大社の桜川沿いの歩道には、太宰治など三島にゆかりのある12人の文学者の文学碑が並んでいます。
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中伊豆エリア・湯ヶ島文学・梶井基次郎・文学碑
結核を患っていた梶井基次郎が長逗留した湯川屋の主人が自費を投じて文学碑を建てました。
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北伊豆エリア・丹那盆地文学・吉村昭
丹那トンネル工事をテーマにした吉村昭の[闇を裂く道]は、丹那盆地周辺を取材して、著しました。
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中伊豆エリア・踊り子歩道文学・川端康成[伊豆の踊子]
川端康成の自筆により[伊豆の踊子]の冒頭の一文が刻まれています。
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北伊豆エリア・滑沢渓谷文学・井上靖[猟銃]
滑沢渓谷の入口には、井上靖が芥川賞を受賞した短編小説[猟銃]の文学碑が建てられています。この付近で猟銃をかついだ男との出逢いから始まる恋愛心理小説です。