約1万年前に富士山で噴出した玄武岩の溶岩流は、南東に進み、箱根火山と愛鷹(あしたか)火山に挟まれた谷を埋めながら南下して、現在の三島市街地から長泉(ながいずみ)あたりを先端として、冷え固まりました。黄瀬川(きせがわ)を流れてきた溶岩流は、この場所で冷え固まり、その後の水流の浸食により鮎壺の滝ができました。
滝の上層は厚さ10mほどの一枚岩の三島溶岩流で、その下の愛鷹ローム層(茶色)の多くは浸食されて上の固い溶岩流だけが残りました。
Information
- あり-無料-5台
- JR御殿場線・下土狩(しもとがり)駅から徒歩10分
- あり
- 難易度
- ハイキング
- 安全情報
- 滝の下部に至るアクセスは整備されていません。滑りやすい溶岩やローム層を歩くこともあるので、注意してください。
周辺の見どころ
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溶岩トンネル跡
滝の落ち口付近の溶岩流にあるいくつかの穴は、溶岩トンネルの天井が陥没したものと考えられています。
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溶岩樹型(ようがんじゅけい)
滝下の右側の溶岩崖(厚さ10mほど)の中ほどで、天井を見上げると、いくつかの溶岩樹型が見られます。最大のものは、直径1m、高さ7mといわれています。
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愛鷹ローム層
滝の下流にみられる黄土色のやわらかい地層は、風で飛んできた火山灰や土埃が積もったものです。溶岩流が流れ下る前の古い地層で、三島溶岩流の流れを遮ったのですが、その後の滝の水流によりほとんど浸食されてしまい、滝下の一部で見られます。
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本宿用水
鮎壺の滝の上流に設置した新井堰から取水し、延長約500mの隧道と約2kmの水路で造られたかんがい施設です。16世紀まで本宿村は黄瀬川の川底が深く、降水時には暴れ川となり、川水を取水することが技術的に難しく、稲作ができない地域でした。手掘りで隧道を掘削し、甲州流水利法を駆使して、1603年に本宿用水が完成しました。令和5年に世界かんがい施設遺産と認定されました。